もし あの時、キミと喧嘩せんかったら・・・すぐにでも謝ってたら 指令の内容を知っとったら 強引にでも一緒に行けば これほど苦しまずに済んだやろか? なぁ、日番谷はん。 【 if 】 喧嘩の原因は何だったか、あまりにも些細なことに誰も覚えていない。 いつものように市丸が仕事をサボって十番隊隊首室に遊びに来て、副官の松本に毒を吐かれながらも茶を出してもらい、黙々と仕事をこなす日番谷の邪魔をする。 いつもと何ら変わりない風景だった。 違っていたのは日番谷の内心に焦りと苛立ちがあったこと。 だから、いつものように抱きついてくる市丸に冷静な対応をすることができなかった。 「いい加減にしろっ!!」 机上を強く叩きつける音と共に市丸に向かって叫ぶ。 「鬱陶しいんだよ!毎日毎日、邪魔しに来やがって腹立つ!消えろっ!当分、その面見せんじゃねぇ!!」 言った後に後悔しても遅い。 市丸の顔を見れば、黙りこくって寂しそうな表情を浮かべていた。 「・・・日番谷はん、ボクのこと嫌い?」 「ああ、大嫌いだ。正直、てめぇには飽き飽きしてる」 嘘がひとつ始まれば、それはドミノ倒しのように次から次へと続いていく。 「ボクはキミにすごく会いたかってんけど、そやね。大人げなかったわ」 「今更、気づいたのかよ」 すぐにも自分の口を塞いでしまいたいのに、止める手が震えて顔まで上がってくれない。 吐き捨てるように出る言葉は嘘なのに、この時ばかりは本音のように聞こえてしまう。 謝りたいのに、いくら口を開いても『ごめん』の一言は出せなかった。 市丸が部屋を去った後の空気は重圧感で押しつぶされそうだった。 一部始終見ていた松本は、心配そうな表情で日番谷に近寄る。 「隊長、市丸隊長に今から謝りに行かれても間に合いますよ」 「必要ない」 「隊長」 「わかってる。・・・わかってんだ」 自分が焦って言ってしまったことを、今から走って会いに行けば謝れるだろう。 ただ、それを自分のちっぽけな意地と市丸を傷つけたという罪悪感が邪魔をする。 「出立はいつ・・・」 「今日の隊務が終わり次第だ。後のことは頼んだぞ、松本」 「承知しました」 「あと・・・」 日番谷は言葉を切り、戸惑いながら再び言葉を続けた。 「この指令はあいつに言うな。隊長命令だ」 「・・・承知しました」 『隊長命令』という言葉を強調し、日番谷は再び仕事に戻った。 「はぁ〜」 机上に片肘をついた手に顎を乗せて、重いため息を吐く。 「謝り倒したら機嫌直してもらえるかいなぁ〜・・・あの様子やと今は無理か〜」 市丸は十番隊舎を出た直後に運悪く吉良に見つかり、今は椅子に縄で縛りつけられて仕事をしている最中なのだが、ずっと日番谷のことが頭から離れずにいた。 「隊長、日番谷隊長と喧嘩なさったんですか?」 「う〜ん、ちょっと」 「珍しいですね」 他の隊員が見れば市丸と日番谷のやり取りは霊圧のぶつけ合いもある凄まじい喧嘩に違いないのだが、毎日見てきた吉良や松本からすれば、それは喧嘩の内に入らない。 せいぜい狐と仔猫のじゃれ合いである。 普段は楽しんだ顔で帰ってきて仕事もそれなりにしてくれるのだが、今回は帰ってきても日番谷のことで悩む市丸に吉良は、彼なりに引っかかるやり取りがあったのだろうと推測した。 「隊長の仕事が終られた頃に、この茶菓子を持っていかれては如何ですか?松本さんから日番谷隊長のお気に入りだと伺ったものです」 そう言って、吉良は戸棚より丁寧に包装された高そうな菓子を持ち出した。 「おおきに、イヅル。さすっが、ボクの副官v」 吉良に礼を述べる市丸の表情はいつものように戻っており、吉良もその顔を見て安心し再び隊務に戻った。 「え?日番谷はん出かけたん?」 今日の仕事を終えて再び十番隊舎に茶菓子を持ってやってきた市丸は間抜けな声を出した。 「ええ」 市丸の訪問に応対した松本は確認するように聞いてきた言葉に相槌を打つ。 「ほな、明日また来よか」 「明日もいないわよ」 「なんで?」 松本の言葉に、市丸の脳裏に微かな不安がよぎる。 「それは言えないわ。言えるのは当分ここを留守にすること。それだけよ」 いつもの艶のある優しい声は、事務的な口調のせいか市丸の耳には冷たく聞こえた。 「当分って、どのくらいなん」 「・・・」 「なぁ、乱菊」 「一月は帰って来ないかもしれないって言ってたわ」 「一月も!?・・・なんで乱菊は行かんかったん?ここ来る時、席官もおったで?まさか1人で行ったんとちゃうやろ」 一月も席を空けるということは、おそらく任務に当たっていることが容易に推測できた。 そして本来、副隊長は常に隊長に付き従い護る義務がある。 日番谷が出ているなら目の前にいる松本も行かなければならない筈。 もし松本が残ることになろうと、上席を何人かつけて行かなければならないのだ。 それは長年、副隊長を務めてきた松本が一番よく知っている。 その松本の行動に驚く市丸は問うことしかできなかった。 「『なんで行かなかった?』あの人のことを知ってる台詞と思えないわね、ギン」 「・・・」 「私だって行きたかったわよ。昨日まで喧嘩して・・・でも、どんなに隊長を護ることが自分の義務だと言い張ろうが正論を言おうが、あの人は首を縦には振ってくれなかった」 自分の思いをどれだけ伝えても、それを良しとしてくれなかった日番谷に松本は強いジレンマを抱く。 「アンタも知ってるでしょ?あの人は誰かに護ってほしいわけでも一緒に戦いたいわけでもないわ。いつ何時に自分が席を空けても他隊に劣らない実力で隊を率いてくれる者がほしいって」 「・・・そやね」 お互いに彼のことを知っているのに、焦りと不安で軽率なことを彼女に言ってしまったと認識し、『ごめんな』と微かに震える松本の肩に触れて言った。 松本がこれほど感情的になる様子を見ても、市丸は今回の任務がやっかいなものと認識する。 「昼間に隊長と口喧嘩したでしょ。アレ、隊長の本音じゃないから」 「うん」 いつもと様子が違ってたから、きっと任務のことで焦っていたのだろうと今更ながら納得する。 「乱菊はボクより日番谷はんのこと、よう知っとるから妬けるわ。一番近くで見てるんやもんなぁ」 「馬鹿言ってんじゃないわよ。アンタと同じで誰にも言わず消えること多いし、普段は意地張ってたり子どもっぽい処あるけど、ホントのところ何考えてるんだかさっぱりよ」 「ボクと同じって」 『ひどいなぁ〜』と内心で続けるが、今にも泣きそうな幼馴染みの顔を見ると言葉に出せなかった。 その夜、月を眺めて市丸は今日の出来事を振り返る。 「まさかボクも待つ側に立たされると思わんかったわ。なぁ、日番谷はん」 松本に言われて気づいたのは、自分も日番谷も気が向いた時に消える癖があること。 市丸は今まさに松本と同じ思いを味わっている。 そう思うと、今日の些細な出来事を悔いてならなかった。 「もし」 「あの時、キミと喧嘩せんかったら」 「指令の内容を知っとったら」 「強引にでも一緒に行けば、これほど苦しまずに済んだやろか?」 キミと別れた後に、こんなん待ってるてわかってたら喧嘩なんかせんかったのになぁ。 一時でも長く感じるのに、これから一月は待たなければならない。 それが市丸にとって懺悔を宣告されたように感じた。 なぁ、日番谷はん。 もし、キミを繋ぎとめる術がボクにあったら キミの耳に聴こえる音をすべて遮って 透き通るような翡翠の瞳を目移りせんように隠して キミの声が誰にも聴こえんよう閉じ込めてしまいたい。 そして、その細く白い腕を、足を・・・・。 しかし、どれほど日番谷を繋ぎとめる術を考えようと、きっとすべて無駄に終ってしまうだろう。 嘲笑う声と共に悔やむ気持ちを抑えることのできない市丸は、今は触れることのできない日番谷の存在の大きさを改めて認識する。 「ボクはキミを繋いどく術なんか持ってへんよ。強く抱きしめても掴まえた感じはせんし、どれだけキスして好き言うて幸せ感じても、それが続く気せぇへん」 だから、いつも心の隅では不安があった。 いつか自分の知らぬところで消えてしまうのではないかと。 その不安が市丸の中にある独占欲をさらに強くさせる。 「早く・・・早く帰ってきて。待つんは嫌や。待つんは寂しい」 「日番谷はん・・・」 「はぁ・・・はぁ・・・」 かなり梃子摺ったにせよ、なんとか虚を倒した。 (これで、やっと帰れる) (帰ったら先に三番隊に行って、市丸に『ごめん』って謝って、それから・・・) 一月に渡り虚を追い求め任務を完了させた日番谷は、ようやく帰還できる喜びに張り詰めていた気を緩める。 だが、倒したと安心した一瞬の隙が運悪く虚の最期の罠にかかってしまった。 <・・・っせめて、お前から『聴こえる音』『発する声』『見える視界』を奪ってやるぞぉ!!> 「・・・っ!」 その声がした途端、日番谷は無の世界へと突き堕とされた。 「隊長、少しでも何か口になさってくださいね」 「・・・おおきに、イヅル」 吉良の心配そうな言葉を何度聞いたかわからない。 「・・・」 この数十年を砂が流れ落ちるような速さで生きて、それよりも短い一月を待つことがこれほど不安に駆られ長く感じるものだとは思いもしなかった。 日番谷が突然姿を消してからというもの、市丸は食事も睡眠も不摂生になっている。 吉良が幾度促そうが睡眠だけでもと手を打とうが無に終わる。 今まで市丸につき従ってきて、ここまでやつれた顔を見たことはなかった。 それが吉良をさらに不安に駆り立てていた。 待つことしか許されない身がこれほどまでに辛いものとは思わなかった。 十番隊で日番谷の空席を埋めるのに必死の松本も同じ思いだろう。 「そう思えば、乱菊は強いなぁ。・・・ボクは日番谷はんがおらんだけで、ここまで自分が弱ると思わんかったわ」 もし此処で松本が聞いていれば、頬を思いっきり引っ叩かれていたに違いない。 今の松本は日番谷の意志を心の支えにして必死に弱い自分を奮い立たせているのだ。 幼馴染みの彼女を見習って自分も気を強く持ち、いつもの調子で彼の帰還を待ちたい。 待ちたいけど、その思いとは裏腹に食事を摂る気にもなれず、眠ることもできず、ひたすら別れ際の日番谷とのやり取りを繰り返し思い出し後悔するしかなかった。 思い出す度に心の中で君に謝りたいと切に願う。 「もう一月経ってしもたで?・・・今どこにおるん」 切に願い続ける声は小さく、それに応える者はいない。 ほんの微かでいい。 応えてくれたら、すぐにでも駆け出して迎えに行くのに。 あの記憶に焼き付いた姿にもう一度会いたい。 見つけたら真っ先に抱きしめてキスして声聞きたい。 キミに何言われてもええから。 ・・・会いたい。 もう、気ぃ狂いそうや。 静まり返った空気を肌に感じながら、市丸は夜更けの空を眺めていた。 しばらく月を眺めていると、月光を浴びた地獄蝶の影が徐々に三番隊隊長室へと向かって来た。 それは十番隊副隊長・松本からの伝令だった。 『十番隊隊長・日番谷が帰還。現在、四番隊舎に搬送中』 「・・・っ!た、隊長!?」 吉良の声も無視し、市丸は急いで四番隊舎へと駆けて行った。 (やっと・・・やっと会える) 早く会いたい思いと四番隊へ搬送中ということからの焦りを感じつつ、市丸は足をさらに速めた。 四番隊舎へ息を切らせながらやって来た市丸は中へ入るなり、視界に入った隊員のもとへ真っ先に向かい日番谷の場所を問い詰める。 「十番隊長さんは何処におるっ」 「ひっ、日番谷隊長は今・・・」 「市丸隊長」 隊員にものすごい気迫で掴みかかる市丸を制したのは、奥の部屋から出てきた松本だった。 「・・・乱菊」 「そんなに怖い顔で脅迫されては隊員が怯えます。今しがた日番谷隊長の治療が終わりましたので、こちらへどうぞ」 市丸よりも先に日番谷に会っている松本だが、その表情は硬かった。 松本に案内されて入った部屋には、とくに集中治療を必要とする機器は置かれてなく、白いベッドに眠る日番谷と傍には診察し終えた卯ノ花が座っていた。 「・・・っ」 まだ息を切らしたまま呼吸の整わない市丸は、傍まで寄ると自らの手で生きていることを確かめるように日番谷の頬を撫でた。 (・・・あたたかい) それだけが今の市丸の不安を掻き消した。 「十番隊長さんの容態はどないですの」 「日番谷殿の身体的な外傷は大きなものはなく掠り傷程度です。ただ問題がひとつ」 卯ノ花は眠る日番谷を心配そうに見つめて言った。 「ここへ運ばれて来た時の日番谷殿の瞳に光はなく、耳も聴こえず、声も出ない状態でした」 「・・・なんやて?」 卯ノ花の言葉に市丸はすぐに反応できなかった。 「おそらく虚の持つ毒性に犯されたものかと思われます。一時的なもので治療も終えましたし、しばらくすれば回復されるでしょう」 「・・・」 もう出る言葉のなくなった市丸は、ただ安らかに眠る日番谷を見ていることしかできなかった。 それは後ろで控えていた松本も同様だった。 卯ノ花が退室し、部屋には市丸と松本の2人だけとなる。 「なぁ、乱菊」 「・・・何よ」 「今回の指令って何やったん。もう教えてくれてもええやろ?」 力ない声で市丸が聞いた。 「一月前に地獄蝶で与えられた指令はウチの隊長を指名した任務だったわ。『ある地区に巣喰う虚を滅せよ』と」 松本は隊員から貰ったお茶を市丸の前に出す。 「なんで指名なん」 「虚がね、普通のタイプと違って子どもを狙うのよ。私たちみたいな大人に成長している者の前には決して姿を現さず気配も感じさせない。それでいて神出鬼没で知能も高いやっかいな虚が子どもを喰い尽くしていたの。だからウチの隊長が指名されたのよ」 市丸は、なにも日番谷1人指名せずとも外見が子どもなら十一番隊にも、失礼ながら二番隊にもいた筈と思った。 「他の隊はすでに別の任務を言い渡されていて、空いていたのがウチだったの。・・・いえ、こういう場合は『空けられていた』と言った方が妥当かしら?」 市丸の内心を察するように松本が付け足した。 「それ以上、虚の詳しい情報はなかったわ。ずぅっと待って待って待たされて、やっと帰って来たと思ったら眼は見えない、耳は聴こえない、声は出せない・・・・ホント、ヤんなっちゃうわ。でも・・・」 『よかった』と、徐々に声が小さくなる松本を見れば、気の強い彼女が微かに目尻に涙を溜めていた。 「十番隊長さんはちゃんと戻ってきてくれた。今はそれが救いやわ」 「ええ」 日番谷の小さな手を両手で包み込むように握る松本は、ただ目の前で安らかに眠る上司を見つめる。 すると、一瞬小さな手が握り返すような反応を示した。 「隊長っ」 咄嗟に日番谷に呼びかけるが聴こえないことを思い出し、松本は反応のあった手をもう一度握り返した。 きゅう。 日番谷はゆっくりと松本たちの方に向いて横になると、空いてる手で包み込んでいる手を確認するように上から触った。 「・・・」 「隊長・・・わかるかしら」 表情からは何も察することは出来ず、ただ無表情のまま松本の手を探るように触る。 手では分からないだろうと思った松本は、顔を近づけて日番谷の手を自分の頬に触れさせた。 普段、互いの顔に触れることのない松本の顔を、日番谷が恐る恐る触ると、その手は次第に軽くウェ−ブのかかった長い髪に触れた。 「・・・っ」 日番谷は気づいたのか、声は出ないが口の動きが微かに『まつもと』発しているように見えた。 それを見るなり松本は何度も頷き抱きしめた。 「・・・隊長ぉ」 松本の反応でわかったのか、日番谷は抱きしめる松本の頭を撫でた。 それは『ごめんな』と言われているような気がして、松本は首を横に振った。 2人の様子を、市丸は二歩後ろで見ているだけで入り込める空気ではないように感じた。 自分も会いたくて会いたくて、やっとの思いで日番谷が帰ってきてくれて松本のように抱きしめたい。 しかし、市丸の足は前へ進むことを拒み立ち尽くす。 彼に会うことができた安堵とともに、偶然にも自分の願った状況に陥っている彼を見て後悔していた。 偶然であれ何であれ、今の日番谷は一瞬でも彼を自分のものにしたいと願った状況にある。 そして自分の愚かさに気づかされた。 彼は自分の声も聴こえない ――― だから『愛している』と伝えられない。 眼が見えない ――― だから、大好きな瞳にボクは映らない。 声が出せない ――― だから、いつもボクを邪険にする声が聴こえない。 いつもの元気なキミがそこにはいない。 自分の望んだものは彼の心を殺してしまっているのではないか。 それでも良いと思ったことは幾度とあった。 しかし実際、目の前にすると自分はなんてことを望んでいたのだろうと罪悪感に突き落とされるのだ。 本当はこんな状況を望んだわけじゃないと心の奥で叫ぶ。 やっと自分の気持ちが落着いた松本は、後ろにいる市丸の手を取り席を交代した。 「ほら、アンタも会いたかったんでしょう」 「・・・」 「私は仕事が残ってるから先に帰るわ」 「ああ、うん。お疲れさん」 安心した松本は席を立ち、市丸をそこへ座らせ退室した。 部屋には市丸と日番谷の2人きり。 市丸だということに気づいていない日番谷は身動きすることなく、ただじっとこちらの動きを待っているように見えた。 「・・・っ」 市丸は松本がしたように、日番谷の小さな手をそっと取ると自分の頬を触らせた。 そして起き上がる日番谷の小さな背に腕を回し、思い切り抱きしめると肩に顔を埋める。 その反応に日番谷は見えないけれど、聴こえないけれど抱きしめる腕と温もりが誰のものかわかり、自分も応えるように広い背に腕を回し羽織を握りしめた。 「・・・会いたかった」 か細い声で弱弱しくも呟く市丸の声は日番谷には聴こえないけれど、抱きしめてわかる微かな震えが日番谷に思いを伝えているようだった。 「ごめん・・・ごめんな、日番谷はん」 松本のように涙を目尻に溜めることも流すこともない。 代わりに聴こえない耳へ何度も謝罪の言葉を言うと、その思いに同調したのか、見れば日番谷の瞳から溢れんばかりに涙がこぼれ落ち市丸の胸を濡らしていた。 「日番谷はん?」 抱きしめる力を緩めてみれば、日番谷は無表情のまま静かに涙を流していた。 今までこんな泣き方をする子どもを見たことがあっただろうか。 いつもの元気な日番谷とは異なり、その姿は市丸に儚くも繊細で美しい印象を与えた。 「なぁ・・・泣かんといて?」 頬を伝う涙を指で拭い、閉じる瞼に口づける。 あやすように、慈しむように額から頬、唇へと優しく口づけていく。 しかし日番谷の目からは涙が止むことはなかった。 「泣かんといて?・・・キミに泣かれたらボク困ってしまうわ」 ボクはキミの涙を止める術を持ってへんねんから・・・。 今の日番谷は無の世界で市丸の体温だけを感じ不安で仕方がないのだろう。 日番谷の手は指先が白くなるほど強く市丸の羽織を握り締めていた。 「キミの声が、耳が、視界が戻るまでボクはここにおるよ。そんで、最初にボクの顔見て声を聴いてほしいねん」 見えないけれど日番谷に微笑んで、聴こえないけれど耳元で囁く。 「ボクはここにおるから、安心しておやすみ」 市丸の思いが届いたのか、日番谷は抱かれる胸の中で眠りについた。 もし、ボクが先に目が覚めて日番谷はんの耳が聞こえてたら 『おはよう』『お帰り』『ごめんな』『愛してる』って言いたい。 ボクの大好きな翡翠の瞳が見えてたら じっと日番谷はんの顔見て反応返ってきたら、キスして抱きしめたい。 聴きなれた声がボクに何か言ってくれたら、『ありがとう』って言いたい。 ねぇ、日番谷はん。 太陽の日が昇り、窓から光が差し込み部屋を明るく照らした。 「・・・ん・・・ぅ」 昨夜は四番隊舎で一夜を過ごした市丸は浅い睡眠から目を覚ます。 腕の中には日番谷がまだ眠っていた。 昨日までしがみ付くように握り締めていた手は羽織から外れ、市丸は起こさないようにそっとベッドから降りた。 さすがに一つのシングルベッドに子どもと大人の2人が寝つづけるにも柵がついていないので落ちないか気を遣って疲れる。 まだ眠い目を擦り市丸は椅子に座って日番谷を見ようとした。 その時。 「・・・おはよ」 自分以外の声が聞こえる。 それは、まだ眠っているはずの子どもの、幾度と夢にまで見た声。 恐る恐る見れば、太陽の光に反射して光る翡翠の瞳が、ぼんやりとした表情でこちらを見ていた。 「・・っ聴こえる?」 「ああ」 「ボクの顔・・・見える?」 「ちゃんと見えるよ。・・・少し痩せたか?」 「それはキミも一緒やろ・・・まったく」 そう笑顔で言ってくれる日番谷に、自分はちゃんと笑顔を作れているだろうかと市丸は思う。 「なんて顔してんだよ」 「笑ってるつもりやけど」 「そんな泣きそうな顔で笑う奴があるか」 日番谷の瞳に映る自分の顔を見て、市丸は普段ちゃんと作れる顔も今回ばかりは無理だったと内心で笑った。 「ボクな、キミの耳や目が治ってたらしよう思てたことあるんよ」 「なんだ?」 市丸はベッドサイドに腰をかけると、上半身を起こす日番谷の背に腕を回して優しく抱きしめる。 その感触は互いの骨があたり痩せた印象を与えた。 「キミより先に起きて耳が聞こえてたら『おはよう』って言うて」 「クスッ・・・俺の方が早かったな」 「『お帰り』」 「ただいま。それと・・・・ごめんな」 「それもボクが先にキミに言いたかったのにぃ」 大きな翡翠の瞳を見つめると、泣きそうな顔が市丸に謝罪する。 市丸は髪に、額に、鼻先に、頬に、唇に、と優しく口づける。 「任務に出かける前、お前に酷いこと言ったってわかってたのに、お前に『ごめん』って一言が言えなかった」 「ボクもキミの様子がいつもと違うの気づいてたクセに、口に出せんかった。『ごめんな』それと・・・」 離れて初めて気づかされる、自分にとって狂いそうなほど愛おしいキミに想いを伝えたい。 「『愛してる』」 耳元で囁くと、日番谷は照れを隠すように市丸の胸に顔を埋め、耳を赤くする。 そして、傍にいる市丸にしか聞こえないような小さな声で『ありがと』と言った。 早朝より、心配していた卯ノ花が日番谷の診察に訪れ、治っていたことに安堵した。 それを地獄蝶で報告を受けた松本も駆けつける。 「隊長!」 「松本、心配かけたな」 息を切らし日番谷の前に膝を折る松本の手を取る。 「昨日、この手が握ってくれた時『誰だ』って思ったけど」 順に頬、髪へと触っていく。 「髪とか、匂いとか、松本だなって思ったら安心した。ありがとう」 「・・・もう、こんな思いはさせないでください」 「ああ」 顔を隠すように俯いて言う松本に、日番谷は細い腕を伸ばし肩を覆うように抱きしめた。 その光景はまさに子どもが母親を抱きしめ慰めるようでもあった。 しばらくの療養をえて、日番谷は再び十番隊舎で忙しく隊務をこなす生活が始まった。 「〜っ市丸。てめぇ、いつまでも背中に引っ付いてんじゃねぇ!仕事しろ!!」 「ちゃんとしとるよ〜。今は休憩時間v」 「市丸隊長。吉良がげっそりした顔で探し回ってましたよ?ホント、副官泣かせよね」 「ボクが泣いてほしんはキミやねんけどな〜」 「〜んのっボケ狐!さっさと自分の隊舎に帰れぇ!!」 いつものように市丸が仕事をサボって十番隊隊首室に遊びに来て、副官の松本に毒を吐かれながらも茶を出してもらい、黙々と仕事をこなす日番谷の邪魔をする。 いつもと何ら変わりない風景。 そんな日常に幸せを感じながら、今日も仕事に忙殺されるのだった。 ―fin― |
sakuya様からいただきました。
前回に引き続き萌えをありがとうございます!!
むちゃくちゃ私的事ですが、副隊長が絡むお話がスキなんです。
こう、保護者みたいなポジションで。
恋愛になんて発展しないような。
安心できる、そういう副隊長の位置が好き(笑)
なので私、sakuyaさんの書かれる小説に惚れこんでおりますv
本当にありがとうございました♪
05/03/28 副隊長